東名菊川インターから車で御前崎方面へ約10分、東横地に横地城跡があります。
工業団地が近くにありますが自然に囲まれたお茶栽培も盛んな地域です。
縄張形態は山城となっており室町時代初期に築かれたお城で戦国時代の文明8年(1476年)まで続きました。
今川氏や源氏とも深い関わりのあった横地氏に思いを馳せながら、あなたもご一緒に遺構めぐりをしてみませんか?
目次
横地城の発端は?城主はだれ?
横地城を築いたのは横地氏初代の横地太郎家永で八幡太郎義家(源頼朝の祖先)の落とし子だとつたえられています。
横地太郎家永は、八幡太郎義家が父、源頼義の加勢で現在の磐田市見付の宿に滞在中に、地元の有力者(相良太郎藤原光頼)の娘との間に授かった子で義家の後ろだてによって横地村に居を構える発端となったようです。
横地氏は滅亡まで450年間、17代続き遠江の古名族として君臨しました。
この横地氏を原点に菊川市横地(横地村)が全国の横地姓発祥の地となっています。
横地城跡到着まで狭い山道です
横地城跡にいくには二箇所入り口があります。
もし車を駐車場において徒歩で登るなら、緑色の横地城跡入口看板のところから入っていくと大きな駐車場があります。
御前崎遠州灘自然公園横地城案内図の看板があり遺構の位置がわかりやすく表記されていました。
もう一箇所、お茶工場の横を通って登っていく道もありますが(前述の看板より手前から入れるように案内がでています)とても狭く、車のすれ違いができない山道のため運転に自信のない方は駐車場に車をとめて散策されることをおすすめします。
駐車場付近ではため池や参道も見ることができ山城散策はなかなか時間を要しました。
横地城跡山道内に残る多くの遺構に驚嘆!
菊川市に長年住みながら、一度も横地城跡を散策したことがなく今回はじめて訪ねてみました。
山道を少しすすむたびに、遺構の案内板が連続的に見受けられたのには驚きました。
まさか菊川にこんな歴史的な史跡があるなんて?!
感動して写真を取り始めたら終わりがなかなか見えない状況に。
最後まで見終わるのに2時間近くかかったと思います。
なかなかの名所旧跡めぐりでした。
ここからは横地城跡の遺構や景色を写真でご案内していきますね。
横地氏の広大な山城内に残る遺構
山城内山道には本当にたくさんの看板、案内板がありました。
歴史好きなあなたには必見の散策スポットだと思います。
かくし井戸
本当に井戸があるか、のぞいてみましたがわかりませんでした。
井戸の反対側は緑がきれいにひろがるお茶畑が!
武衛原庭園跡
斯波武衛邸宅跡
谷田大池身射原
現在地案内看板
丑池
三光寺跡
千畳敷
金玉落とし膝つき谷
二の丸跡
横地神社
横地城跡
中城跡
金寿城(本丸)
本丸上からの眺め
横地城ありきの菊川市横地
今回、横地城跡をたどってみて菊川市の横地という地名が横地氏の山城からはじまっていることを知ることができました。
菊川について調べようと思わなかったら、多分知らないまま過ぎてしまったでしょう。
室町時代は日本史好きにはたまらない波乱万丈な出来事や武将が歴史を彩ってきたのです。
横地城は、その室町時代に活躍していた横地氏の居城だったことが現在の遺構の状態からも伺い知ることができます。
あなたも菊川市の名所旧跡の中ではトップ3に入る横地城跡を一度訪ねてみてはいかがですか?