あなたは明治の文豪、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)をご存知ですか?
なんと、菊川市からそんなに遠くない焼津市に小泉八雲記念館(2007年6月27日開館)があったんです。
小泉八雲によって書かれた「怪談」や「雪女」は、ほとんどの人が読んだことのある日本の怖い昔話だと思います。
そんな私達にとって馴染みのある昔話を、イギリス人の小泉八雲が書いたことを知らない方もいらっしゃるかもしれませんね。
焼津市が小泉八雲のゆかりの地だったことを今回はじめて知った私はさっそく記念館めぐりをしてきました。
今日は、八雲の生涯や焼津との関わりについてレポートしていきたいと思います。
目次
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)はどんな人物!?
もともとは「ラフカディオ・ハーン」という英国人だった人物がなぜ「小泉八雲」という名前で本を出版したか?
そのきっかけは1891(明治24)年に小泉せつ(松江のもと士族の娘)とめぐり逢ったことが発端となっています。
1850(嘉永3)年6月27日にアイルランド人のイギリス軍医の父とギリシャ人の母のもとに生を受けたハーンは、幼少期に両親の離婚により大叔母に引き取られ、イギリスの学校に入学しました。
その後、17歳の頃、大叔母の破産によって「流転の生涯」がはじまりました。
イギリスから渡米し、勉学に励みながらの新聞記者時代にハーンの才能は開花し、1884(明治17)年、移り住んでいた土地、ニューオリンズで開かれていた万国産業綿花博覧会に出品されていた日本の美術工芸品を通じて、ハーンは日本におおきな興味を持つようになったようです。
1891(明治24)年に松江で小泉せつと結婚し、翌年から熊本の高等学校の教師、1894(明治27)年に神戸クロニクル社の記者を経て、1896(明治29)年に英国から日本に帰化し「小泉八雲」と名乗るようになったのです。
八雲となってからは、東京帝国大学(現東京大学)の文学部講師として神戸から上京し、翌年の1897(明治30年)8月にはじめて焼津を訪れ、それ以来亡くなるまで6回の夏を焼津の海を見ながら過ごしたのが、小泉八雲と焼津を結びつけるきっかけとなりました。
八雲は7年間、東京帝国大学に在職後、1904(明治37)年に早稲田大学文学部の講師となりましたが、同年の9月26日に心臓発作のため54歳で亡くなりました。
日本人より日本人らしい!?八雲の遺した日本の文化、昔話は私達の生き方や感性に少なからず影響を及ぼしてくれていると思います。
なぜ八雲は焼津に?
1897(明治30)年8月4日、小泉八雲は水泳が得意だったようで、夏休みを海で過ごすために家族連れでよい海岸を探していたようです。
海の見える駅で降りて、探そうとしたときに1番最初に降りたのが焼津駅でした。
焼津の海を八雲は気に入ったため、亡くなるまでの6回の夏を魚商人・山口乙吉の家の2階を借りて過ごしたそうです。
怪談や雪女を書いた八雲が海水浴好きだったなんて、意外で楽しいエピソードに思えませんか?
こちらの小泉八雲記念館では、八雲の当時の日記をいくつも見ることができました。
ほのぼのとした八雲の手記からとても親しみを感じられます。
小泉八雲記念館の収蔵品の数々
記念館内は、八雲の書簡、遺品、妻せつにあてた手紙、八雲が描いた絵などを中心に展示されています。
その中でも焼津にまつわるエピソードが書かれたものは、身近に感じられて興味を持って読むことができました。
当時の書簡を目にする機会はなかなかないと思うので、こちらの記念館は一見の価値があってオススメですよ!
小泉八雲記念館はどこにあるの?
焼津市三ケ名、焼津市立図書館隣にあります。
駐車スペースは図書館と共用になっているため広いのでお車でのご来館も大丈夫です。
小泉八雲記念館の詳細情報
建物名称 | 焼津小泉八雲記念館 |
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住所 | 焼津市三ケ名1550 (焼津文化センター内) |
ジャンル | 文化施設 |
アクセス | J東名高速道路焼津I.Cより約10分 |
電話番号 | 054-620-0022 |
営業時間 | 9:00~17:00 |
定休日 | 毎週月曜日 (月曜日が祝日のときは以後の最初の平日) 年末年始 |
駐車場 | あります |
小泉八雲記念館(焼津市)は県内では貴重な文学館です!
明治の文豪、小泉八雲記念館は今回、たまたまナビで見つけて立ち寄ることができました。
まさか、こんな近場に有名な昔話の作家の文学館があったなんて!
菊川からはそんなに遠くない焼津で、明治の文豪のくつろいだ1シーンをのぞき見ることができるなんてラッキーですよ。
なかなか見ごたえのある記念館なので、ぜひ、あなたもゆっくりご覧になってみてはいかがですか?