菊川駅前に令和2年(2020)1月に関口隆吉像が建立されました。
この菊川に歴史上有名な人物がいたなんて菊川市民としては誇らしい限りです。
初代静岡県知事に任命されたのち、列車事故が原因で明治22年(1889)に54歳の生涯を閉じるまで様々な偉業を成し遂げた関口隆吉。
今年この銅像が建立されるまでは、彼の功績を知らずに過ごしていた菊川市民も多かったのでは・・・。
今回は「お茶の菊川」のルーツにゆかりのある関口隆吉像(JR菊川駅)と赤レンガ倉庫(お茶の保管に使用されていた)についてすこしだけレポートしていきたいと思います。
目次
菊川駅開駅、牧之原台地の開拓、静岡英和学院設立などの業績を残した関口隆吉
菊川駅(堀之内停車駅)を開業した関口隆吉は、牧之原開拓事業のために菊川市月岡に家を持っていたそうです。
牧之原台地開墾を指揮する際は月岡から馬で台地に通っていたと伝えられています。
明治維新により、職を失い生活に困った武士たちにお茶の栽培による牧之原台地の開拓をすすめた関口の功績は、いまの「お茶の菊川」のルーツそのものです。
茶業の発展に尽力したのち、静岡県知事となり県内初の女子教育機関である静岡女学校(現在の静岡英和女学院)の開校にも力を添え、堀之内停車場(現JR菊川駅)を開業し菊川市の発展に大きな役割を果たしてくれた関口隆吉。
今回は、そんな彼の功績を知らないまま菊川駅の銅像を見にいってしまいました。
あらかじめ調べてからいけば、もうすこし感慨深く銅像を拝見できたのに・・・と残念でなりません。
次回、菊川駅にいく機会があればまた違った思いで駅を観察できそうです。
菊川駅から100メートルほど南下したところに赤レンガ倉庫が
菊川駅のつぎに散策した菊川市赤レンガ倉庫は、じつは先述の関口隆吉と関連性のある建物でした。
明治時代後期に建てられた煉瓦造りの2階建て、屋根は瓦葺の倉庫です。
もともとはお茶の再生工場が所有していて、倉庫に加えお茶のブレンドもしていた建物です。
「お茶の菊川」といわれるようになった菊川茶の歴史を今に伝える建造物として平成26年4月に菊川市内で初の国の登録文化財として登録されました。
今回は開館日のはずの日曜日の訪問でしたが、建物の玄関が閉まっていて内覧することができませんでした。
とても残念です。
しかし、要所へ効果的に焼過煉瓦を使用した全面煉瓦造りの建物はみごとで、なかなか見ごたえがありました。
この赤レンガ倉庫の存在を知る菊川市民も案外少ないと思います。
私も今回はじめて見にいったくらいで意外と市内では周知されていない建造物なので、ぜひ一度ご覧になることをオススメします。
「お茶の菊川」の原点の建物のひとつでもある赤レンガ倉庫です。
赤レンガ倉庫はどこにあるの?
建物の詳細情報です
名称 | 菊川赤れんが倉庫 |
---|---|
住所 | 静岡県菊川市堀之内1425番地 |
区分 | 国登録文化財 |
アクセス | JR菊川駅から徒歩5分 |
電話番号 | 菊川市教育文化部社会教育課 0537-73-6863 |
関口隆吉像と赤レンガ倉庫は一見の価値あり!
今回は菊川駅を軸に二箇所、「お茶の菊川」のルーツとなる場所をすこしだけ散策してみました。
日頃、気に留めていなかった菊川のお茶の歴史を今日はちょっと垣間見ることができた気分です。
ぜひ、あなたも菊川駅をご利用の際は関口隆吉像と赤レンガ倉庫にすこし目を留めてみてはいかがですか?